今回の緊急帰国について

ブログの更新は2月ぶりとなるので、心配していただいていた方もいたかもしれません。長い間放置してしまってすみませんでした。

 

 

この数ヶ月色々と周囲の環境や心境の変化があり(みなさんそうだと思いますが)、ブログ更新しようという気持ちになれなかったというのが正直なところです。

 

 

まず初めに…もう約5ヶ月も前のことですが、実は新型コロナ感染拡大の影響を受け、3月に帰国しておりました。
 
 
 
というのも、各所でお知らせしていたとおり、僕は今年1月末から大学院進学のためにニューヨークへ渡り、向こうでの新生活をスタートしていました。
 
 
家や携帯、銀行口座など生活環境を整え、1月27日から授業が始まり、慣れない英語での講義や出来事に戸惑いながらも我武者羅に学校生活を送り、1ヶ月半ほど経過して、やっと少し要領をつかめてきたかなというところで学校閉鎖・外出禁止となりました。
 
日を追うごとにどんどん周囲の危機感が高まり、自分自身もいよいよ身の危険を感じ始めたころ、3月末に日本政府が帰国者に入国制限を設けることを発表しました。その時は既に僕の大学院も全てオンライン授業になっていたので、入国制限が始まるまでに帰国して今学期の残りの授業は実家で受けることを決断し、急遽戻ってきました。
 
 
 
 
早いものでそれからもうかなりの日数が経過しましたが、有り難いことに大きく体調を崩すこともなく、今日まで無事に西宮の実家で自粛生活を送ることができました。
 
 
 
 
 
5月にオンラインで大学院の授業を全て終え、単位も無事に取れ、その後6〜8月の夏休みは家族や周囲の友人たちと楽しくコロナ期間を過ごせました。この8月末からはまた2学期の授業が始まったので再び、昼夜逆転(13時間の時差のため…)生活が始まっています。
 
 
 
 
留学が決まった際にはたくさんの方に応援の声をかけていただき、盛大に送り出してもらったのに、こんな形になってしまって本当に申し訳ないです。でも、これで終わりではないので、また引き続き応援していただけると嬉しいです。9〜12月の秋学期(Fall semester)の期間中は、残念ながら学生ビザが無効化されており、渡米することができないのですが、無事にコロナが落ち着いてくれれば1月からの春学期にはまたニューヨークの学校で対面式の授業に参加できる予定です。
また向こうに戻れるときには、このブログでも報告しますので、引き続き温かく見守っていただければ幸いです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
さて
 
 
 
 
ここからは、帰国を決意した経緯と、兵庫の実家に辿り着くまでにあった様々な出来事を書いていこうと思います。単純に個人的な記録として残したいのと、「どうやって帰ってきたん?」と聞いてくれる人もいるので。
確実に長くなりますので、興味(と時間的余裕)のある方だけお読みください。
 
 
 
 
どこから話せば良いかわからないので、まずはニューヨークに行って、生活を始めたばかりの頃の話から。
 
 
 
  
そもそも僕が渡米した1月末はまだアメリカでコロナ感染者が初めて確認されたくらいの時で、ニューヨークではまだまだ人々の注意、関心すら高まっておらず、アジアの国(中国や日本)で新型の感染症が流行っていてヤバイらしいという話題がたまに上がる程度でした。
 
 
その頃のニューヨークはむしろインフルエンザがめちゃくちゃ流行っていて、僕の大学院の先生やクラスの友人も感染してしばらく休んだりしていました。インフルが感染拡大しているので、しっかり免疫力をつけて、気をつけましょうという話が授業内で出たりはしてました。が、食事前に手を洗う習慣とかウェットティッシュで除菌とか、口にごはんが入ってるときに大声を出さないとか、、、そんなことをいちいち気にする人はおらず(中にはいたのかもしれませんが)日本人って神経質すぎなんだな〜過剰なんだな〜と価値観の違いをしみじみと感じていたほどです。
 
 
2月に入っても、こちらではコロナへの危機感は全く高まっていませんでしたが、日本では次々と感染例が確認されていたので、学校の先生たちからも日本にいる家族を心配されることが増えました。
 
僕が日本人だからといって、半分冗談のつもりだとは思いますが、握手してくれないみたいなノリもありました。ちょっと傷つきました。ニュースでは、ニューヨーク市内でアジア人への差別(「コロナを持ち込むな」的なやつ)が報道されていたこともあったので、日本にいる家族からはそういう意味で心配されました。
 
 
こんな感じで、2月もニューヨークではコロナはその程度にしか思われていませんでした。自分達とは遠いところで起きている、他所の問題だと認識していた人が大半だったと思います。
 
 
中旬にヨーロッパで死者が初めて確認されたくらいから、ちょっとヤバイんじゃない?という雰囲気になってきました。イタリアでは中国に次いで感染者数がどんどん増えていて、危機感を煽るニュース、情報も多くなっていき、いよいよアメリカでも他人事ではなくなってきている雰囲気がありました。
 
 
とはいっても、みんな今まで通り生活しているし、人の多さは変わらないし、飲み会もパーティーも普通にしていました。僕も友達とセッションに行ったり、週2、3本ライブを見に行ったり、飲みに行ったり、買い物に行ったり、授業の課題に追われながら毎日充実した楽しいニューヨーク生活を送っていました。
 
 
3月になると、ニューヨークでも日を追うごとにものすごい勢いで感染者が増えていったので、もしかしたら学校が閉鎖されるかもしれないという噂が徐々に出てくるようになりました。
先生たちも含め、誰も正確な情報を得られず、どうなるのか全くわからない状況でした。
 
 
 
 
そして3月11日

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明日から対面式の授業はなくなり、一週間後から残りのセメスター中の授業全てオンライン授業で行うことにするというメールが来ました。
 
 
 
 
 
すでに学校が好きになり、居心地の良い場所になっていた僕は、もう「え・・・」としか言えませんでした。わざわざお金も時間もかけて留学してきたのに、学校で勉強することができないという事態はそう簡単には受け入れられず、この時は「こうは言ってるけど、まあ1、2ヶ月でコロナが落ち着いたらまたきっと学校に行けるようになるだろう」と信じたくて仕方ありませんでした。
 
 
ちなみに、日本ではオンライン授業への移行に際して様々なトラブルが発生し批判がたくさん出ていたようですが、ニューヨーク市では学校側の対応はとても良く、急なことだったにも関わらず知恵を絞って対応してくれた先生たちには感謝しかありませんでした。どの授業もZoomを利用したリアルタイムの授業となり、パソコン画面とは言え毎週同じ時間に友達や先生の顔を見られるのは嬉しかったです。
 
 
座学系の授業は、Zoomのおかげでむしろ学習しやすくなりました。まだまだ英語での1コマ3時間の講義に慣れていなかった自分にとって、画面録画できるのはめちゃくちゃありがたかったです。
ただ、トランペットのレッスンやアンサンブルの授業は大変でした。僕の住んでいた部屋の下の階にかなり神経質な人が住んでいて、少しでも物音を立てると下から棒のような物でゴン、ゴンと突かれるので、満足に楽器を吹くことはできませんでした。結構ヤバい人っぽかったので正直怖かったです。
 
 
僕はマンハッタンとクイーンズにある学校との間くらいのところに住んでいました。電車で30分ほどで中心地へ行ける、大学へもバスと電車を使って1時間かからないくらいのところですごく便利でした。
 
 
部屋は3階建てのシェアハウスで、同じフロアには自分も含め5人で生活していました。一緒に住んでいたのは、東京の大学を休学して語学留学で来ている女の子、自分と同じくニューヨークの大学に通う一つ年下の日本人の男の子、ニューヨークの大学を卒業後ミュージシャンとして活動している一つ年下のハーフの男の子、という自然と親近感覚が湧くようなメンバーで、みんな本当に親切にしてくれ、すぐに仲良くなれました。他のところに住んでいる日本人の友達を呼んで宅飲みやお好み焼きパーティーをしたり、ゲームやトランプで盛り上がったり、みんなと楽しく過ごせたおかげで寂しさを感じたことはありませんでした。
同世代なので話も合うし、みんなそれぞれにしっかりとしていて感心させられることも多く、頭も良くてすごく尊敬できる人たちでした。と同時に精神的な支えでした。最初にたまたま入居したアパートでこのような素晴らしい出会いがあり、本当に恵まれていたと思います。
 
 
外出禁止令が出てからは、さらにみんなと一緒に過ごす時間が増えました。コロナのニュースを調べては情報共有し合い、体が鈍らないように一緒に散歩に行き、一緒に自炊もしてお酒を飲みながら食事したり…、そんな時間のおかげで学校に行けなくなったショックを忘れられ、たくさん励みをもらえました。ほんの1ヶ月ほど前に、右も左も分からない状態でニューヨークに来て、不安だらけだった未熟すぎる自分にとって、ルームメイトたちはとても特別な存在でした。
 

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↑散歩中に見たリス

 
 

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↑桜だと思って近づいて見たら全然違った
 
 
 
 

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↑外出禁止を乗りきるために
 
 
 
 
 

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↑思い出の味
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3月も終わりに近づき、オンライン授業にも慣れてきた頃、僕自身はまだまだ帰国を考えていませんでしたが、自分と同じように日本からアメリカに留学している友人や、同じ学校の韓国人の友達がもう国に帰ると言っているのを聞いて、「え、今ってもうそれくらいの状況なの・・・?」という気持ちになってきました。
 
 
日本の家族からも、帰って来れるなら帰っておいでと言われるようになり、自分の心も少し揺れつつありました。
ただ、その時すでに自分のすぐ近くまでコロナの恐怖は近づいていて、僕の学校からも感染者が出ていたり、近くの病院が医療崩壊しているというニュースがあったり、いつ罹ってもおかしくないという心構えだったので、「今実家に帰ることで家族を危険に晒すことになるかもしれない…」と思っていましたし、「せっかくニューヨークで友達もできて生活も慣れてきたし…もしかしたら数ヶ月後コロナが落ち着いてまた学校に行けるかもしれないし…今帰ったら自分だけ逃げるみたいで友達に申し訳ないし…今家を引き払ったら契約期間より早期退去のペナルティが発生するし…」などといった帰りたくない理由もたくさん湧いてきたので、やっぱりもう少しここにいようと決めていました。
 
 
 
 
 
 ところが、日本政府が3月27日から、空港での水際対策を強化し、アメリカからの帰国者に入国制限を設けると発表しました。これで大きく流れが変わりました。
 
 
もし自分がこの先コロナに罹ってもニューヨークでは十分な治療が受けられないかもしれない。もし日本にいる家族や友人に何かあっても日本に飛んで帰ることはできなくなるかもしれない。万が一このままコロナがずっと続くとしたら、その間ずっと日本には帰れないかもしれない、そうなると生活費がもうもたない。
 
 
いろいろなことを考えると、その時のメンタルの弱った自分にとって”日本に入国できなくなってしまうかもしれない”ということはただの恐怖でした。
そんな中、唯一の心の支えだったルームメイトもまた日本に帰ることを決断したので、自分も同じように「もう、すぐにでも帰りたい!!」という気持ちになりました。
 
 
そう思い立ってすぐに飛行機のチケットを確保し、数日後に帰国する予定を立てました。
 
 
家を引き払い、お世話になった人にメールをして、いろんな不安に襲われながらUberで空港に向かいました。(電車には怖くてもう乗れませんでした。)
 
 
 
 
空港はガランとしていました。

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CANCELLEDばかり・・・

 

 

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かろうじて帰れるくらいでした。
 
 
この状況で自分は無事に家に辿り着けるのか、あらかじめ日本の検疫所、厚生省、日本大使館に確認をしたところ、羽田空港に着いた時点でPCR検査を受けてそこで陰性が出たら国内線にも乗れ、大阪に帰ることができるということで、その時熱も出ていなかった僕はきっと大丈夫だろうという気持ちで出国手続きをしていました。
 
 
 
 
 
 
しかし、そう簡単にはいきませんでした。(続く)