今回の緊急帰国について(後編)

前回の投稿からまたしばらく空いてしまいました。ブログを書き始めるとダラダラと長くなってしまい、たくさん時間を消費してしまうのが嫌で(なら短くまとめろ)書くことをいつも後回しにしてきましたが、今年が終わってしまう前にこの話題については終わらせておきたく、やっと更新します。

 

 

 

 

 

以前に、僕のアメリカからの帰国の経緯について書いたこのブログですが、

 

oguranaoya.hatenablog.com

 

 

 

 

とてもたくさんの方に読んでいただき、知人や先輩からは「どうしてるか心配やったけど、いろいろわかって安心した」「大変やったな」と嬉しい声をかけていただけて、この状況下での帰国者としてSNS等での発信を避けてきた自分ですが、書いてよかったなと思いました。

 

 

 

 

前回、途中で(続く)と書いて切り上げてしまったことで、「どこで終わらしとんねん」とお叱りの声もいただきました。かなり空いてしまいましたが、個人的な記録用も兼ねて続きを書いていこうと思います。前回同様、興味と時間的余裕のある方に読んでいただけると幸いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住んでいた家を引き払って、なんとか空港に辿り着いたところまで書いていたと思います。

 

 

 

3月27日から日本政府が感染拡大を防ぐための水際対策を強化するというニュースを受けて帰国を決めたのですが、学校の試験もあったためすぐにはアメリカを出られず、僕がチケットを取れたのは27日に羽田に着く便でした。

f:id:hikogya0922:20201231173021p:plain



 

 

 

そのため、空港についてからの自分の行動が制限されないか、交通機関を使って(国内線や電車、バスなどで)ちゃんと家まで帰れるのかなど不安なことだらけで、検疫所、厚生省、日本大使館など様々なところに電話をして、「とりあえず羽田に着いた時点でPCR検査を受けてそこで陰性が出たら国内線にも乗れ、大阪に帰ることができる」という確認が取れました。(この時、国際電話をたくさんしてしまったことで3月の携帯料金は3万円越えでした…凡ミス!)

 

 

 

 

 

 

ガラガラの空港では、お土産屋さんも閉まっているところが多く、開けているところは商品が売れ残りまくっていて異様な感じでした。爆買いしてる人とかも全然いませんでした。レジのスタッフも一人しかおらず、新人だったのかレジ打ちを2回も間違ってやり直していて、すごく申し訳なさそうにしながら頑張ってくれて、微笑ましかったです。

 

 

 

 

 

飛行機に乗る前にJALの方に、念の為もう一度、「PCRで陰性なら国内線で大阪に帰れると聞いたのですが本当に帰れますか?」と尋ねると、「状況が刻々と変わっているので正直わからない」と言われました。

 

 

 

 

飛行機の中では全員マスク着用、空席もたくさんあって、3密の心配もなく、かなり安全な感じがしました。移動の間、とりあえず一旦コロナのことは忘れられて、久々に落ち着くことができ、気がつくとあっという間に日本上空まで来ていました。

 

 

 

 

着陸が近づくと、「これからPCR検査か・・・絶対に止められたくない・・・」という気持ちになってきて、すごく緊張しました。

すると、機内で突然このような紙が配られはじめました。

 

f:id:hikogya0922:20201231173109j:plain

 

f:id:hikogya0922:20201231173228p:plain



 

米国から来航する航空機等で入国する方すべての方について,健康状態に異状のない方も含め,検疫所長の指定する場所(自宅など)で14日間待機し,空港等からの移動も含め電車,バス,タクシー,国内線航空便などの公共交通機関を使用しないことをお願いすることになります。このため,飛行機に乗る前に,以下について,確認をお願いします。

 

1 前記の要請がなされることを前提として、入国後の旅程に支障がないこと。

 

2 入国前にご自身で入国後14日間の滞在先(特に,外国人の場合は,自宅がないので,宿泊施設)を確保していること。

 

3 空港からその滞在先まで移動する手段(公共交通機関以外)を確保していること。

 

帰国の際は空港から待機場所までの移動には,公共交通機関を利用できませんので,移動手段(自家用車、レンタカーなど)の確保を事前に行っていただく必要がありますので,ご留意願います。

 

 

 

 

 

 

 

 

「え・・・?」

 

 

 

 

 

 

羽田で足止めになることが確実となり、絶望しました。国内線のチケットもパーです。

 

 

 

 

 

 

空港に着くと、僕と同じように絶望している人、イライラしている人、その対応に困っている検疫官の人たちで混乱していました。とりあえず、その場でこれから14日間を過ごす自主隔離場所を直ちに決めて、書類に書いて提出しない限り検疫所を通ることができないというルールになっていたため、長蛇の列ができていました。

 

 

 

「検査を受けて陰性なら大丈夫と事前に確認していたのですが、、」と検疫官の方に伝えると、「そうですよね、昨日まではそうでした。でも、結論から言わせていただきます、伊丹空港には行くことはできません。私としてもなんとかしたい思いはあるのですが、国が決めたことですのでどうすることもできません。」と言われてしまいました。

 

 

 

悲しすぎて誰かに助けてもらいたい気持ちしかなかったのですが、もし自分が無症状の感染者だったらということを考えると誰にも頼ることはできませんでした。数分何もできずにその場で固まっていましたが、いつまでも絶望していても仕方ないと思い、とりあえずインターネットで近くのホテルを探し始めました。空港近くの部屋は僕と同じような方の利用が多かったのか、どれほど探しても全然リーズナブルな部屋が見つからず、ロケみつのブログ旅並みに宿探しにかなり苦しめられました。

 

 

 

 

時間が経つにつれ、僕の周りからはどんどん人がいなくなっていって、検疫所の前で取り残され、日本にいるのに入国できない最後の一人になってしまいました。(検疫官さんごめんなさい)

 

 

 

 

 

なんとか見つけた羽田から一番近いホテルは、一番小さな、喫煙可能の部屋で、一泊12,000円。14日間滞在すれば約17万円。すべて実費。手持ちの日本円はあまりなく、クレジットもいろんな出費で使いまくっていたので、限度額を超えてしまわないかがとにかく不安でした。先のことはこれから考えれば良い、とりあえず日本に入国しなければと思い、その場ではとりあえず一泊だけ部屋を取りました。

 

 

 

 

 

やっと書類を提出できて、検疫所を抜ける時にはこのようなカードを持って入国審査を通らされました。

 

 

f:id:hikogya0922:20201231173729p:plain

アメリカは指定地域ではなかったのか?「滞在歴なし」の意味はよくわかりませんでした。

 

 

 

 

だいぶ着陸から時間が経ってしまったからか、スーツケースが通常の荷物受け取りから別のところに移動されててめっちゃ焦りました。

 

 

 

 

 

 

公共交通機関の使用は一切禁止ということで、やむをえず徒歩でホテルへ向かいました。楽器と重たいスーツケースとリュックとお土産を両手に持ちながら徒歩で向かうホテルは、空港最寄りのはずなのに思ってた10倍くらい遠くにあって、歩きながらいろんな思いがこみ上げてきて本当に泣きそうでした。

 

 

 

 

結局、空港では検査も何もなかったため、自分は感染しているかもしれないという不安がずっと消えませんでした。接客のあるご飯屋にも怖くて入れないので、夜ご飯はコンビニで調達、自分の買うもの以外には絶対に手が触れないようにして食料を買い、ホテルでも絶対に人と接触しないように気をつけました。仕方なく触れてしまうもの、自分が座ったりしたところは絶対にアルコールで拭くようにしました。体温も数時間に一回くらいマメに測りました。

 

 

 

 

 

そんなことを神経質にいろいろと気を使っているうちに、「自分は本当に感染者なのでは」という気持ちになってきました。(空港でも「帰国者」というだけでほぼ「感染者」として扱われていたので余計に)

 

 

 

 

 

しんどいような気がする時もあったので、保健所に相談すると、4日間続けて37.5度以上熱が出ているようでないとPCR検査は受けられませんと言われ、自分は感染していないという確証を得る方法はなく、とにかくずっと不安で仕方ありませんでした。

 

 

 

 

 

ホテルでの隔離生活を始めて2日目には、やはりこのまま14日間をそこで過ごしてお金を消費してしまうのは嫌だという気持ちがどんどん高まってきて、なんとかして関西に帰れないかいろいろな方法を考えました。

が、どの方法を取っても、自分がもし感染していたらと考えると、誰かにうつしてしまうリスクはどうしても避けられず、最善の方法はレンタカーで自力で帰るということでした。

しかし、NYにいる間一度も車を運転せず、留学前も大事な時期に事故に遭いたくないという理由でしばらく運転を控えていたペーパードライバーの自分には長時間高速道路を走るのは怖く、、なかなか決断できませんでした。

 

 

 

 

 

 

この時、相談に乗ってくれ、東京まで関西から車で迎えにいくよと言ってくれた優しい友達もいました。日本をしばらく離れていた自分に対し、そんなふうに言ってくれる大事な人たちが日本にいるということに、色々込み上げてくるものがありました。その言葉に甘えて、頼らせてもらおうと気持ちが揺らぐこともありましたが、やはり感染リスクを考えるとどうしても迷惑をかけたくなく、結局最後には親に頼ることにしました。

 

 

 

この歳になっても、いまだに家族に頼って、迷惑をかけてしまうことに恥ずかしさというか複雑な思いは当然あったのですが、それ以上に今の状況を脱したいという焦りや、先の見えない不安の方が大きく、精神的に完全に参ってしまっていたのもあり、申し訳なさと感謝の気持ちでいっぱいになりながら親に東京から連れて帰ってほしいと相談しました。親も抵抗は持ちつつも、どうすることもできない状況の僕を理解してくれました。

 

 

 

 

とはいえ、うちの両親も歳が歳なので、大阪東京間の往復を運転させるわけにはいかず、翌朝に飛行機で東京まで来てもらい、3人でレンタカーを運転して大阪まで帰ることになりました。

 

 

 

 

 

隔離生活3日目、朝イチにレンタカー屋に行くとそこには僕と同じように大きなスーツケースを持った人がいっぱいいました。どのレンタカー屋さんももう予約でいっぱいで、3軒目でやっと借りられるところが見つかりました。結構お金はかかりましたが、ホテルに14日間いることを考えるとだいぶ出費は抑えられました。。そして、久々に親と過ごす時間のありがたみを噛み締めながら、その日1日かけてゆっくり関西の実家に帰ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

…というわけで、帰国して3日後の夜やっと帰宅でき、当初思い描いていた帰国劇とは全然違う形にはなりましたが、無事に旅を終えることができました!

その後は、隔離生活の残りの11日間を実家の一室でトイレと風呂以外一歩も外に出ない生活を送りました。夜中にオンライン授業を受け、毎食親に部屋の前までご飯を運んでもらうという異様な生活を約2週間送り、かなりメンタルが弱りました。昼夜逆転でニューヨーク時間で授業を受けることで体調を崩したことも何度かありましたが、今はありがたいことに健康です。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、、事細かに話すとこんな感じの緊急帰国劇でした!!僕が帰ってきた時は、国の帰国者に対する対応がまだ曖昧で、とりあえず行動制限させるということ以外何も決まっておらず、検査も補償も何もないという状況にだいぶ苦しめられたので、ちょっとタイミングとしては失敗でした。

あれからもう9ヶ月以上も経っているなんて信じられません。あの時は、帰ってきたことが本当に正しかったのかという迷い、始まったばかりだった新生活への未練と時が止まってしまったかのような錯覚、その後に起きたBLM運動に伴う混乱や事件で一時大変なことになってしまったニューヨークやそこに暮らす友達や先生への思い、いろんなマイナスの感情が溢れてきて、数ヶ月前向きな気持ちにはなれませんでしたが、こんな経験があったからこそ気づけた大切なことや、日本に帰ってきたからこそできたこともたくさんあり、今思えば帰国は僕にとっては正しい選択だったかなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

2020年、本当に大変な年でしたが、新しい2021年は全ての方にとって良い年になりますように・・・!

 

 

 

 

 

 

 

 

今年もお世話になりました!来年もよろしくお願い致します!最後まで読んでいただきありがとうございました🙇‍♂️

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけに短かったニューヨーク生活で出会ったあれこれの写真を載せておきます。

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231174518j:plain

↑初めて降りた時に驚愕したMain St.駅前のほぼ中国みたいな景色

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231174628j:plain

↑NY初日に見かけた、カバンに詰め込まれた犬

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231174722j:plain

f:id:hikogya0922:20201231174739j:plain

↑スーパーの洋服売り場にあった、日本語の書かれたパーカー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231174842j:plain

↑クセになる味、茹でたパスタにバターとのりたまと鶏肉を混ぜたやつ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231174822j:plain

↑自炊生活を支えてくれた、入れたらとりあえずなんでもうまくなるやつ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

f:id:hikogya0922:20201231175019j:plain

↑地下鉄の駅でストリートライブした時のチップボックスとその奥に見える「詐欺と泥棒」と背中に書かれた服を着てる人(拡大してみてください)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おしまい。